1886 |
M20 |
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出生 |
1905 |
M38 |
18 |
花巻川口尋常高等小学校(現花巻小学校)へ代用教員として赴任。3年生の担任となり、宮沢賢治と出会う。この時、花城小学校は現在の市役所近くの旧校舎から現在の校舎へ移った。花城小学校(現花巻小学校)3年生の担任、宮沢賢治と出会う。 |
1906 |
M39 |
19 |
花城尋常高等小学校(旧花巻川口尋常高等小学校)4年生の担任。 |
1907 |
M40 |
20 |
2月、退職後上京し、早稲田大学入学 |
1925 |
T14 |
39 |
盛岡中学校から花巻高等女学校へ転勤、花釜新聞発行 |
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青年時代日本国中を方々・・・。或は職を求めて朝鮮に渡り、満洲入りしたこともある。大体は教員の職であつた(稗貫風土記) |
1928 |
S10 |
42 |
この頃、後に八木が養子とする男の子が生まれる |
1929 |
S4 |
43 |
無職(花巻町政史・・当時私は花巻電鉄支店長の社宅に住んでいたが無職であった |
1933 |
S8 |
47 |
「最近の満州の使して」 発行。
国策としての満州移民事業を岩手県内の青年たちに鼓吹する目的で出版。 花巻町東公園(現在は無い住居表示、鳥谷ヶ崎神社付近)に居所あるいは新聞社があった。 |
1935 |
S10 |
49 |
宮沢賢治と再会、(宮沢賢治研究、「宮沢賢治に聞いた事」) |
1939 |
S14 |
53 |
「我等の先輩志士横川」 発行。
横川省三、35周年忌日にあわせて書かれた伝記。
花巻町東公園在住 |
1948 |
S23 |
62 |
公職追放、花釜新聞閉刊
大沢温泉へ転居 |
1950 |
S25 |
64 |
「釜石鉄道沿線繁盛記」 発行(大沢温泉在住、公職追放以降からか?) |
1951 |
S26 |
65 |
「稗貫風土記・人物編」 発行 |
1953 |
S28 |
67 |
「復興への道」 発行
「少年宮沢賢治」寄稿(「四次元」第五巻第九号)「今はすでに前だれ商人と早がはりしている次第だ」・・・恐らく大沢温泉で蕎麦屋をしていることを指していると思われる。前世探訪での老女の証言を裏付けるもの
「賢治の幼友達」寄稿(「四次元」第五巻第十号 |
1955 |
S30 |
69 |
「花巻町政史」 発行 |
1958 |
S33 |
72 |
没 |
1965 |
S40 |
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「拓」出生 |