2004年6月25日
8時25分東京発はやて5号に乗車。盛岡で下車。再びじゃじゃ麺を白龍本店で食べてから花巻に向かった。 梅雨の真っ只中であるのに雨は落ちてこなかった。僕が訪れるといつも花巻は曇りであった。花巻高等女学校の校章この微妙な天候にいつも当たるのは晴れに当たるよりも難しかろうと思った。そしてこの天候はかなりの距離を歩く散策に非常に好都合であった。
僕はまたも適当に歩を進め始めた。しかし以前と違ってそれが最良であることを確信していた。まずかつての花巻高等女学校、現在の生涯学習センターを訪れた。どこかに女学校時代の痕跡がなかとうかと探すと体育館の上方に校章を見つけた。
今回の旅は豊沢川と北上川の合流する地点へ行くことが目的であった。 八木自身の著作に豊沢川に架かる豊沢橋まで生徒が送ってくれたとの記述があったのでそのルートを辿ることにした。と言っても何か資料が在るわけではなく、いつもながらの直感だけに頼る散策である。
高等女学校跡の松並木から出発する。かつての釜石軽便鉄道軌道跡の道を横切り左に旧鳥谷崎(とがやさき)駅、右に旧軽便鉄道本社を見ながら細い路地を下って南進する。左右に立派な旧家が立ち並んでいる。程なく突き当たりに出てしまったので左折すると当時は川口町役場と呼ばれた花巻市役所に出た。その交差点を左へ折れ、再び南進。下りきったところは上町なる地区でデパートや銀行が並ぶ商店街である。ピークを過ぎた感じであちこちの建物に綻びが見え、寂しい思いに駆られる。この地区はかつてより花巻銀行や花巻電燈社、岩手銀行また活動写真館、銭湯もあって栄えていた地区だった。この商店街のある通りは遠野へ至るメインの道の一つであった。その道を横切ってさらに南進しているうちに果たしてこの道で良いのかという疑問が襲った。すると面白いものに遭遇した。「サンモールYAGI」の表示だ。おまけに下には馴染み深い「いーはとーぶ」の文字。問いかけたら即座に答えはやって来た。この道で正しいらしい。
右手に寺が見えた。浄土宗の寺、松庵寺であった。吸い込まれるようにその門をくぐった。特に何かあるわけでもない小さな寺、老女が落ちた木の葉を掃いていた。何も変わったところがないのを確認して出ようとした瞬間、老女が手招きをしている。行くと勝手に老女は話し出した。なにやら有名な文人の碑があるのだが、それを求めて来た観光客はあまりに目立たぬその碑に気付かないらしい。老女はそれを僕に教えたのだった。僕は全く興味がなかったからその文人の名も今は忘れてしまったくらいだ。いや、その名を忘れたのはそれ以上に驚くことがあったからだ。勝手に話している老女を見ていて、僕は心臓の高鳴って来るのを感じた。「彼女は八木のことを知っているのではないか?」老女の話が終わるのを待って切り出した。「おばあさんはこの土地に長いのですか?」耳が遠いらしくなかなか伝わらなかったが老女は答えた。「私はここ(花巻)から出たことがないよ。」「花巻の女学校で八木先生と言う先生が居たのですが、知っていますか?」この質問も何度か繰り返さなければならなかったが老女は答えた。「ああ、お侍さんの息子さんだった先生ね。」ここまで聞き出すのがやっとであったが小さい町であるとは言え相当に昔の人物を実際に知る人に出会えたのは幸運であった。いやこれは運ではない、僕には八木が導いてくれているとしか思えなかった。 |