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今生のテーマ6 加速 夢を中心に
おことわり
数回に及ぶ「林アンジュセッション※」において私が得られ個人的メッセージ集を中心にして自らの生きるテーマを掘り下げます。
注:できるだけ言葉をそのまま掲載しますが、一部修正している箇所もあります。
アンジュさんは現在は「羽衣アンジュ」として活動しておられます。
2006年6月25日 現実化
ついに私はスピリチュアルな活動を実現した。
それは特に努力するでもなく、アンジュさんとのセッション中の思いつき(ひらめき)からはじまって後は自然に形となった。
「セッションルーム・ゆめたく※」の誕生である。
ゆめたく主催の3回のグループセッションには私も直接参加した。セッション中、またその後、参加者それぞれの計画の中で効果的にセッションが作用して様々な変化となって表れるのを私は目撃した。
そしてこの私自身も例外ではなかった。
一つの到達地点と思われたセッションルームの開設も実は次の段階への一つのステップに過ぎないと言うことを知らされる。
それが3回目のグループセッションで明らかとなる。
※自宅を会場にヒーリングやスピリチュアルカウンセリングができる方を招いてグループセッション等を開いた。
2006年9月30日 好転反応 
これまでの2回のセッションは来るべきアセンションに向けて心を整えるウォームアップのようなセッションであった。今回のセッションはその色合いがさらに濃くなり「光の覚醒のワーク」と題され、アセンションの準備と明確に位置づけられた。
セントジャーメイン、サナトクマラ、ハトホル女神によって「光の装置」と呼ばれるものが参加者に注入された。
それは瞑想中に行われるのだがその瞑想の中で自分自身がこれから「持っていたい物」と「手放したい物」を分けるようにとの言葉があった。
なんと私はすぐに今の職場のパソコンの未読メッセージがすっ飛んで行くイメージと職場の映像がまるでポスターを剥がすように取り去られるイメージが浮かんだ。そしてその取り去られたポスターの後ろにあった風景はなんと、花巻でクリスタルやスピリチュアル関連のグッズが並んでいる中で来た人に色々アドバイスする私とその近くのなはんプラザと言う施設で講演する私、そして花巻の郊外の家でカウンセリングを楽しげにやっている私の映像であった。
『そうだ!これが僕のやりたい事!気持ちの良いことだったんだ!』
そのイメージの中に居るだけでとても安らげ、癒され、気持ちが良かった。その幸せな雰囲気のまま瞑想は終わった。
私の右の頭は熱を帯び、重たくなってた。アンジュさんは私の背後に回ると「拓さん、パンパンにエネルギーが入っていますね。ちょっと取りましょうか?いゃ・・やめておきましょう」と言った。(後に聞いたところこのとき抜かないようにメッセージがあったそうだ)
このセッションの後、好転反応が起きることをアンジュさんは参加者に告げた。怒りっぽくなったり、感情が安定しなかったり、身体の不調が出たりするのだそうだ。しかしこれらは今までの膿を出したりバランスを取る為の必要な過程なのだそうだ。
私は翌日から右半分だけの凄い頭痛に襲われた。まさに昨日熱を感じたところであった。『来た来た!これは好転反応なのだ』そう思った。 頭痛は激しさを増し、とうとう会社を休むほどになってしまった。そして脳神経外科でMRIで診断を受けた。
診断は『群発性頭痛』かなり稀な病気らしく片頭痛の強力バージョンと言うところか。しかしこれは実は原因不明であって・・つまり原因が無かったので症状から診てこの病との診断になったようだ。
そしてこの病気にしか効かないという薬を処方してもらった。・・・しかし・・・これが全く効かない。と言うことは私の頭痛は本当に原因不明の頭痛だと言うことになる。
2006年10月17日 光の日
相変わらず朝から頭痛がひどい。私は産業医のもとに行った。この産業医は私が工場から営業に異動する際に世話になった医者である。彼に会って頭痛の原因が分かると思っていた訳ではなかった。ただ数日前から『彼に会っておこう』とのインスピレーションが沸いたからだった。
案の定、彼に頭痛の原因はわからなかった。それより私のほうから彼に医者に向かって失礼かもしれないが「異動のストレスもあるのかもしれません」と言ってしまった。
それでも以前の様にアレルギーなどではないからいくら産業医でもストレスくらいで異動を会社に勧めることはできない。
会社に向かう電車の中で私は『何の為に産業医の元に行ったのかはわからないが・・きっとこれで良いはずだ。とにかく行動は起こしたのだから。』と思っていた。
昼休みの間に30分程、瞑想した。その瞑想中にこんなイメージを見た。
花巻駅前、小さなクリスタルショップ。店に入ると娘がいる。私は奥で待っていた客と向かい合って座る。私は彼女を相手にスピリチュアルカウンセリングのようなことを始めた。
その後、店を出て車で郊外の家に娘と行く。土間があって囲炉裏がある家。そこでグループワークが始まる。
ホールのような場所。私は大勢の人の前で話を始める。生き生きと楽しく心地良い。

翌日、不思議なことにあのひどかった頭痛が軽くなった。完全に無くなった訳ではないが、それは痛みの痕跡程度のものとなっていた。
17日はフォトンベルトの強い光が降り注いだ日だと聞いた。その光の影響かどうかはわからないが、とにかく好転反応の頭痛はその日を境に消えていった。

2006年10月20日 宇宙の後押し
久しぶりにアンジュさんの個人セッションを受けた。
のびやかな状態でこだわりを捨てましょう。あなたがなりたい自分を意識しましょう。しかしなりたい自分で無いと苦しくなる、だめだと言う執着から離れましょう。
あなたは宇宙との調和度がいっそう上がっています。どのような状態でいる自分が良いかをはっきりさせ、しかもそれに執着しないようにしましょう。
あなたはだんだん痛みが感じにくくなって起きる現象をただながめている様になっていきます。
我慢することは違います。楽しくないなら手放す時期に入っているのです。仕事はもっと楽しいところへ、スピリチュアルなところで働くか、少なくとももっと気持ちの良いところで働くかしましょう。それに向かう勇気が必要です。既にそれに気づいて認める時期にとうに入っています。
たとえ、以前よりそこが楽しくなった、楽になったとしても我慢してはいけません。嬉しい方を選びましょう。楽になって行きながら手放すのがベストです。そのままにしていると葛藤が起こりそのエネルギーが大きくなってしまいます。

3日後の10月23日、何というタイミングだろうか。週が明けて上司との面談があった。これは下期に向けて方針をたてその「やるき」をアピールする場であった。
私はそこで勇気を持って「ここから異動したい」と表明した。これには上司も驚いた様子だった。
「とにかくあと半年してまた聞く」と上司は言い異動のことはうやむやにされた。
それでも私は良かった。自分の意思を表明した。行動を起こしたから。

2006年10月27日  外に内を見る
宇宙は面白いことを起こしてくれた。
職場に出勤するといつもは先に出勤している後輩のK君の姿がなかった。珍しく彼は勤務開始時間ギリギリに職場に入ってきた。
昼間、一人で食事をしているとK君が「おじゃましてい〜ですか?」と入ってきた。それから彼は驚く事を話し出した。
「実は僕、今日どうしても駅で降りれなかったんです。ここへ来るのが嫌で嫌で・・だから2つ先の駅まで行って嫁さんに電話したらとりあえず今日は行ったらと言うことになってギリギリに来たんです。」
「おととい上司に辞めたいんですと言ったんです」
「僕、生まれて初めて本当にしたいことを見つけたんです」
何ともすごいタイミングだ。私は自分の変化を外に見ている。

2006年11月15日-21日  わくわくを追って
15日 私はとうとう仕事に行くことができなかった。
それは前日の夜に開かれた職場の男だけの飲み会の席に参加したことも一つの要因だったかもしれない。どうもこの雰囲気が好きではなかった。私はここに居たくないと改めて知ったのだった。
その日にアンジュさんから聞いた雑誌が急に欲しくなって近所の本屋に行ったがどこにも置いてはいなかった。そこでネットにて注文した。
翌日その雑誌『アネモネナチュラル』は届いた。そして一番後ろのページを開くと「編集者募集」の小さな記事が目に留まった。何の条件も詳細も記されていないその募集広告。心臓が高鳴った。
18日夕方 私は宿直の疲れのためだろうか頭痛を感じていた。しかしそれは今までの好転反応の時の激しい痛みでなく、普通の風邪のそれだった。家に着くとそのままベットに入る。薬は服用しなかった。汗が噴出した。
19日 アンジュさんのグループセッションであった。
「熱があっても気分が悪くても今、ここでセッションに参加しているようにこのスピリチュアル雑誌の編集の仕事ならきっと喜んでやるでしょう!」
私はセッションの中で言った。そしてその時あることを思い出していた。
高校でオーケストラを指揮していた頃のこと。懸命に棒を振って家に帰ったとき何かフラフラすると思ったら40℃もの熱が出ていたのだ。
この記憶が編集者募集と結びついたのはまさにこれこそが今の自分のワクワクの方向だからなのだろう。
セッションが終わると僕は再びベットに向かわねばならなかった。そしてやはり薬は採らずに眠った。これだけ汗が出ると言うのに熱を測ると36.5℃だった。
20日 アロママッサージを受けた。アロママッサージをしてくださったYさんと私の前世の話をした。「前世である八木は壁新聞を作っていて僕も小学生にあがった頃から壁新聞を作っていた」
Yさんは言った。「だから『編集』なんですね!」
21日朝 私は履歴書を書いていた。そして通勤途中でそれを投函した。

2006年12月2日  今、見えているもの
あの時、確かに履歴書を投函したが今のところ何の連絡も無いままだ。普段は投函したことすら忘れているが瞑想をしているとイメージが浮かぶ。
雑誌の次の企画を話し合っている様子や取材のために電車で移動しながらパソコンを打っている自分の姿。嬉々として職場に向かう様子など・・・
これはイメージトレーニングにも似ているが無理にそのイメージを創作している訳ではなく、自然と楽しい状況をイメージすると出てくるのだ。
今年の4月の時点でも具体的なものは何一つイメージできていなかった。ところがグループセッションをはじめる位からイメージが出始めてきた。これはどういうことか?
過去に関しては今、あることを思い出したとすると今の状態がその過去になんらかの関係があるからで心理学的にも理解できること。思い出した過去は実は今を反映している訳だ。
精神世界的に拡大して考えるとこれは過去世にも繋がっていく。それは共鳴とか共振の考え方をとると理解しやすいだろう。今の波動がその過去世と共鳴しその過去世が思い出されるのである。
ならば逆はどうか?未来は?
精神世界の間でよく聞くことだが・・・『時間は存在していない』・・・つまり未来も過去も全て同時に今存在している。その未来が感じられない、イメージが浮かばないのはその波動、振動数に達していないから見えないのではないだろうか?そして決心、選択をし、ある行動を具体的にしたときに波動が変化してそれに同調したイメージが現れてくるのでは?
実際、この仕組みはこの「今」も常に起こること。その時の状態により人はその時、見えているものが違っている。それどころかその人の発しているその波動はそれに見合った物事をひきつける。
その様に考えてみると、結局自分がどの様な状態を選択することによって過去も現在も未来も変わるのだということだ。
常識的に考えるとかなり無謀な行動(何の情報も無く履歴書を送った)をした訳だが今後の展開で私の理解が通用するかどうか知ることができるだろう。
2月の異動によって生じた苦しさと職場に対する思いは私に「本当にやりたいこと」を知らせてくれた。
これからどうなるにせよ、感謝の意味も込めて何かこの職場にプレゼントをしたい。
私がここへ来て困難を感じたことを楽にできるような仕組みを作って次に繋ぎたいと思う。
私は毎年2月に大きな変化が起こっている。去年は結婚であったし、今年は異動だった。
さて来年は?


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